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創造源流 ”「つくる人」の原動力ってどこから来るんだろう。きっとそこには、源流があるはず”
植木 公一 デザイナー 〜後編〜
Profile / KOHICHI UEKI
栃木県生まれ。古着店店主、イベント運営会社の企画担当、アパレル企業の営業など、様々な職業経験を経たのち、自身のオリジナルブランド「Porto di luna」を立ちあげる。2011年8月、それらの洋服を取り扱うブランドショップ「Porto Ponpone」を東京・西荻窪に開店。自身の原点でもあるイタリア・アマルフィの街からインスピレーションを得、「南欧の港町に暮らす人々の普段着、そして、旅先でトランクから出して、くしゃくしゃのまま着る服」をコンセプトに、長く日常的に愛される服を生み出し続けている。
▶Porto Ponpone公式twitterアカウント
アマルフィで、美しくゆるやかに流れる時間を過ごしたことで、新たな人生の道筋を見出した植木さん。
帰国後、持ち前の強い推進力を発揮し、Porto Ponpone開店への道をぐいぐいと歩み始める。
しかしそこには、あらたな課題や疑問が山積みだった。
研究と試行錯誤の日々、そしてそこから彼が得たものはなんだったのだろうか―。

インタビュー:坂口直
加速する運命
イタリアから帰国した植木さんは、一気に衣装作成に集中することに決めた。
気がかりな要素はまだたくさんあったけれど、アマルフィでつかんだ自由な心のまま、とにかく動いてみることにしたのである。

古着店をたたんだ後、生活費のために働き始めたイベント会社で、植木さんの運命はさらに加速していく。

その仕事は、クライアントから依頼されたイベントを、具体的にどのように実現するかの企画をたて、それをプレゼンして必要予算を獲得し、そこからさらに実際のイベントの運営までを行う、というものだった。
植木さんは、自分の企画したイベント先でアーティストやモデルが必要になると、その衣装をクライアントに別枠で交渉して、自分がデザインした服を売るようになった。
するとみるみるうちに、休日をすべて衣装作成に費やすほどの仕事がくるようになっていたのだ。

「その頃には、染めとか加工とかは独学で学んでやってたな。
できる、って言って仕事とってきてるから、やるしかなかったよね」と、彼は笑う。

その頃、3度目のイタリア訪問のチャンスが訪れる。
植木さんは1週間の有給休暇を利用して、再びアマルフィへと飛んだ。
Porto Ponpone軒先のオブジェ Porto Ponpone軒先のオブジェ
リアルなものを作りたい
再び訪れたアマルフィの地で、植木さんは、「リアルと幻想の共存」を感じたという。

アマルフィはとても美しい街だが、もちろん、そこに住んでいる人々が存在する。
「生活感」という言葉があるように、「生活の光景」とスタイリッシュな「美」というのは、なかなか共存しないものと考えられがちだ。
しかし、彼が2度目にアマルフィを訪問したときに、その街では、人々の生活や営みと、景観美とが見事に一体化していることに気がついた。

「ホテルの裏側を覗くと、窓と窓の間にロープが通されて、洗濯物がはためいてるんだよね。仕事を終えて帰宅する人々の姿や、迷い込んだ路地のあっちこっちにも、彼らの「生活」が存在してた。でも、それはすごく素敵な光景だったんだ」

そのとき初めて植木さんは、「リアルなものを作りたい」と思ったそうだ。
「衣装みたいに、華やかだけど一回限りの簡単な作りのものじゃなく、古着屋の頃みたいな間に合わせの洋服でもなく、長く日常的に着てもらうために、しっかりしたものを作りたい、と思って」

イメージは固まった。後は走りだすだけだった。
「長く日常的に着てもらえるものを」と語る 「長く日常的に着てもらえるものを」と語る
誰のために「売る」のか
戻ってきてからは、試行錯誤の日々だった。
それからしばらくして、ようやく納得のいくものができあがったが、今度は売り方が分からなかった。日常服は、衣装と同じ売り方では売ることができない。

そこで、植木さんは、アパレルの会社の営業職に転職を決めた。

そこに入って見えてきたものは、現場の悲惨さと、無駄に生産される服の多さだった。

アパレル業界は、思っていた以上に落ち込んでいた。
例えば、今日、ある小売店と「調子はどうですか」「いや〜ぼちぼちだね」なんて会話を交わしていたと思ったら、次の日に他の会社から「あそこ倒産したよ」と聞く、なんてこともざらだった。

各ブランドには、初めに10万円分仕入れてくれないと取引をしない、など、小売店側からしたら横暴としか思えないようなルールが設定されていることが、往々にしてある。
経営にあえぐ個人店には無理な話だ。10万も20万もひとつのブランドに使ってしまったら、首がまわらなくなってしまう。

「だったら、そんな変なルールはなしにして、1着からでも卸すようにすればいいじゃないか、と。小売店も喜ぶし、お客さんも誰も泣く人はいないでしょう?じゃあ自分はそういうことをやろう、と。
大体、アパレルの業界の人は、正直、求められてるものが何なのか分かっていない人が多すぎるよね。分からないから、右往左往して、大量に作って、下手な鉄砲ばかりを数打ってる」

それから植木さんは、力強くこう言った。
「本当にお客さんの近くにいたら、何が欲しくって、何が無駄なものかなんてすぐ分かるはずなのに」

「Porto Ponpone」では、新しい洋服ができたそばから売れて行く。基本、売れ残りはほとんどないという。そんな彼の発するこの言葉は、説得力で溢れていた。
11月22日より阿佐ヶ谷ギャラリーCONTEXT-Sにて展示予定の、musuburi+porto di lunaルナネック・ワンピ 11月22日より阿佐ヶ谷ギャラリーCONTEXT-Sにて展示予定の、musuburi+porto di lunaルナネック・ワンピース
PortoPonpone開店
アパレルの営業と同時進行で、自分の服を仕事先の小売店に営業したり、定期的にギャラリーで展示会を開くなどの動きを続けていた植木さんは、目的としていたアパレルの流通の動きを理解すると、迷わず会社を辞めた。

そして、知人と共同で吉祥寺にお店を借りて、レディース服を作り始めた。しかし、4ヶ月ほどで、経営方針の違いのため計画は頓挫。
その頃たまたま、知人の靴職人がアトリエとして使っていた物件を手放すというので、慌ててその場所を押さえた。

インタビューの冒頭でも述べたとおり、植木さんの服のブランド名は「Porto di luna」。意味は、「月の港」だ。アマルフィの街をイメージして名付けたという。
このアトリエを使っていた靴職人と共同で店を運営することになった植木さんは、自分のブランド名「Porto di luna」と、靴職人のブランド名「Ponpon」を組み合わせた、「Porto Ponpon」という店の名前を考えた。でも、それでは少し不自然に感じたので、イタリア風に最後に“e”をつけて「Porto ponpone」にしたのだそうだ。

それから、半年ほどかけて内装をした。
そうしてできたのが、現在の、ヨーロッパの街角に現れそうなお店なのである。
今ならわかる。その「ヨーロッパの街」は、アマルフィのことなんだ。
アトリエに並べられたミシン糸 アトリエに並べられたミシン糸
地元のある洋服店
植木さんの作る服は、優しい。
それは、肌触りもだけど、デザインも同じだ。
店内には、こっくりとした色合いの服が並ぶ。
形は自由で様々だが、どれもバサッとシンプルな動作で着られるものばかりだ。

私はアマルフィに行ったことはないけれど、植木さんの言う通りそこがジブリのような世界であるのなら、Porto di lunaの服は、キキやシータやナウシカが着るのにピッタリな服だと思う。
シンプルで、素朴で、透明感があって・・・、華やかさはないけれど、女性を一番美しく見せてくれる。そんな服。

Move Art Managementも、そんな彼の作る服に惚れ込み、近頃では、2013年度恵比寿文化祭での企画展示「香りの温室」や、MOVE主催の音楽イベントなどで衣装の製作を依頼するようになった。
2013年秋に、恵比寿のギャラリー「山小屋」で行われたPorto Ponponeの展示「fu-yu-gi」では、山小屋にいつも訪れるアーティストやお客さまをイメージして作った限定ラインの洋服たちが並べられた。



最後に植木さんに、服を作っていてどんなときが嬉しいのかを尋ねてみた。

植木さんは少し悩んだ後、
「地元があるブランドって、ないでしょう」と答えた。

たとえば植木さんがお昼ご飯を食べにいくと、その先で、「そろそろワンピース一着ほしいんだけど」と声をかけられる。
さらに帰り道、「コートはいつ出るの?」と話しかけられ、「来週ぐらいには店頭に出しとくよ」と言うと、その頃には街の人達がお店に集まってきて、気にいったものを買っていくので、あっという間に売り切れてしまうそうだ。
いちばん身近な人達に着てもらえるのは、やはり嬉しい、と彼は言う。

聞けば、今では生産が追いつかないため、近所の主婦や時間のある人に、仕事を手伝ってもらっているという。
「屋根のない工場みたいなもんでさ、昔で言うところの家内制手工業みたいな」
とはいえ、ものづくりに厳しい植木さんである。妥協は許さない。

「そこはやっぱり最初の設計者である俺が、縫製だとかパターンだとかをきちんとつめて、講習を受けさせてね。だからそこは厳しいよ。これだったら自分でお金を出すのか出さないのか。自分自身、洋服に関しては一番ケチだから。美味しい食べ物だったらいくらでもお金払うけど、洋服だったら500円でも迷うからね。
そうやってやってるから、『確かなものだ』っていうのがあるから、ある意味みんな『信頼』にお金を出してくれてる部分もあるんだよね。」

冒頭でも述べたとおり、Porto Ponponeにはホームページも、電話番号もない。
「SNSやらなきゃ」、「ホームページ作らなきゃ」、「常にお店開かなきゃ」、「どんどん店を拡大しなきゃ」……そんな「やらなきゃいけないこと」ばかりの現代で、それができなければさも落ちこぼれであるかのように錯覚させるが、本当のところはどうなんだろう。目の前で「いやぁ、暇がないだけなんですけどね」と笑う植木さんは、失敗者でもなければ、生きるのに汲々としてもいない。それどころか、ずっと自由で幸せそうだ。

それはまるで、植木さんが理想としていたアマルフィの人々の暮らしと同じだった。
人々がそれぞれに、身の丈にあった暮らしをする。多くを望まず、今いる場所にしっかり根を張り、人々の繋がりを大事にする。
アマルフィは、服だけではなくて、彼の生き方にまで影響を与えてしまったのだろうか。それとも、人好きで、自由で、そして何よりたくましく生きる植木さんのスタイルが、アマルフィとの出会いにより確信を与えられたのだろうか。

「書けそう?」
と言う植木さんに、
「このお店にいるだけで、どんどんイメージが湧いてきました。書けると思います!」
と答えると、
「何故だかみんなここにくると、悩んでたことの答えが見つかったり、いろんな新しいイメージが湧いて来たりするって言うんだよね。不思議でしょ?」と彼は苦笑した。

おそらくそれは、彼の創造の源であるアマルフィの世界がこのお店にギュッと凝縮して詰まっているからなんだろうな、と思いながら、私は、その心地の良い場所を後にした。


オレンジ色の光が、少し暗くなった西荻窪の街を優しく照らしていた。
展示「香りの温室」のためにアロマセラピストの和田文緒さんのために制作された衣装。白衣をイメージしてデザインされた。Photo by Yoshito Tsumuraya 展示「香りの温室」のためにアロマセラピストの和田文緒さんのために制作された衣装。
白衣をイメージしてデザインされた。
Photo by Yoshito Tsumuraya
山小屋の展示「fu-yu-gi」イメージ写真 山小屋の展示「fu-yu-gi」イメージ写真