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創造源流 ”「つくる人」の原動力ってどこから来るんだろう。きっとそこには、源流があるはず”
小池 アミイゴ イラストレーター 〜前編〜
Profile / KOIKE AMIGO
群馬県生まれ。長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。フリーのイラストレーターとして1988年から活動スタート。 書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。1990年代はいくつかのバンドで鍵盤をシバキ倒し、DJとしてもCLUB活動。1996年より音楽と唄のための時間“OurSongs”をスタート。デビュー前夜のクラムボンやハナレグミなど多くの表現者の実験場として機能。2000年以降は大阪や福岡や沖縄を始め日本各地を巡り、地方発信のムーブメントをサポート。より小さな場所で唄を手渡すようなLIVEイベントや絵のワークショップを重ねる。
▶オフィシャルブログ「amigos airplane」
▶東京イラストレーターズソサエティ | 小池アミイゴ
久石譲やハナレグミをはじめ、有名アーティストのCDジャケットのデザインから、雑誌や書籍のアートワークまで、数多くの仕事を手掛けるイラストレーター・小池アミイゴ氏。
MOVEは今年、「恵比寿文化祭」のメインビジュアルのためにイラストの制作を依頼した。できあがってきたのは、賑やかにパレードする大勢の人々。その一人一人が、実は恵比寿の街を実際に歩いている人をスケッチしたものだと聞いて、驚いた。
そんな彼が語る、「絵心なんていらない」という言葉の真意とは?

インタビュー:坂口直
絵心なんていらない
「絵心なんてもの、ぶっ壊してやらないといけないんすよ」
と、アミイゴさんは言う。

絵心って、絵を描くときに一番大切なものじゃないのだろうか。
なぜ壊さなければいけないのか。
壊れた先に何があるのか。何もないのか。

それらの疑問を解くためのヒントは、アミイゴさんが幼少期から長年にわたって抱き続けた、「イライラ感」にあった―。
事務所近くのカフェ、代々木八幡LIFEにて 事務所近くのカフェ、代々木八幡LIFEにて
インタビュー:坂口直
マセガキ小学生の苦悩
群馬県のほぼ中央、関東平野が始まる場所に、赤城山という山がある。その山のふもとに、あたり一面に桑畑の広がる村があった。
冬になるとその地域には、赤城山方面から、冷たくて乾燥した突風が吹き降ろす。自転車に乗って北には進めないほどだというから、それはそれは強烈な風である。

そんな土地で、アミイゴさんは生まれ育った。

音楽や芸術に造詣の深い父の影響を受けたアミイゴさんは、好奇心旺盛で知識量も多く、勉強もやらずにできてしまったため、周りの同級生たちが子供っぽく見えたという。
さらに、両親の間でのトラブルなどもあり、安定感を欠いた家庭の中で、幼い頃から醒めた感性を身につけていった。

小学校入学直後のあるエピソードが、そのことをよく物語っている。


――その日は授業参観日で、『三匹のこぶた』を題材に国語の授業が行われていた。
狼が、藁の家を壊し、木の家を壊し、とうとう豚たちはレンガの家に逃げ込む。豚たちは狼の侵入を防ぐため、ドアや窓に目張りをし、そして、暖炉に火を入れる。
ここで先生が、「では、豚さんたちは、なんで暖炉に火を入れたんでしょう?」と生徒たちに問いかけた。

アミイゴ少年は、「そんなの、そこからオオカミが入ってくるからに決まってるけど、そんな簡単な質問を先生がするわけないな」と思い、納得のいく答えを求めて考えをめぐらせた。
その結果、「心に恐怖があったから、寒さを感じたのじゃないだろうか」と思い至り、もしそれが間違いでも他の誰かが正解を言うはずだから、ひとつの視点として言ってみよう、と、思い切って手を上げた。

「寒かったからじゃないですか」

「違います」
先生の反応は、ひどくあっさりしたものだった。

その後に手をあげたクラスメイトが「オオカミが来るからです」と答え、先生は嬉しそうに、「正解!」と言った。そして、参観中の親たちの視線は、その子のもとに集中したのだった――。


「周りの同級生たちは、漫画やテレビ番組やギャグの話をしてげらげら笑ってたけどね。俺は、そんなんより落語のがずっとおもしれぇだろって思ってた」
思考も、嗜好も、とんだマセガキである。

そんな彼にも、純粋でシンプルな子供思考に切り変わる瞬間があった。それは、絵を描いているときだ。

小学校低学年ぐらいになると、授業でも、友人たちの間でも、丁寧だとか、綺麗な絵が評価されるようになる。
でも、アミイゴさんが絵を描くと顔も手も派手に汚れたし、完成した絵は「丁寧」で「綺麗」なものとは程遠かった。おかげで、他の教科ではほぼオール5だったアミイゴさんだが、美術の成績だけはいまいちふるわなかった。

「自分はただ、楽しく描いてただけだったんです」

そんな彼を見て「小池らしくていいね」と言った先生がいた。
その時アミイゴさんは、驚くでもなく喜ぶでもなく、「だよね」と納得したのだという。
「恵比寿文化祭2013」のポスター MOVEが小池アミイゴさんにイラストを依頼した「恵比寿文化祭2013」のポスター。

アートディレクション:小熊千佳子
デザイン:室田晋作
制作・進行ディレクション:新谷佐知子(MOVE Art Management)
募るイライラ
絵を描くことに喜びを感じたアミイゴさんは、漫画家を夢見たこともあった。しかし、家庭の不安定は相変わらずで、長男であるアミイゴさんがしっかりするしかなかった。
―呑気に夢なんか見てる場合じゃない。
アミイゴさんはいつしか、「公務員になりたい」と嘘をつくようになった。
そうして、少年時代のアミイゴさんは次第に、「やりたいこと」を口にしなくなっていった。

それからである。
いつも、なんとなくイライラするようになったのは。

中学・高校はそれぞれ、バスケット部、バドミントン部と、学校の中ではかなり厳しい部活に入った。厳しいところに入ったら、嫌なことが忘れられると思ったからだ。
その見込みは大当たりだった。毎日の過酷な練習メニューのおかげで、あれやこれやと考える暇はなくなった。

「でもね、中学のとき、休み時間図書館に行って、海外とか日本の作家の画集を見たりするようになって。ガキだからダリの絵とか見ると、すげぇ!とか思って。一応有名だからモネとか見て。音楽もそのとき自己流でピアノ弾いたり、ギター弾いたりなんかして。今思えばそういうので自分を解放させてたんだと思うんだけどね」

抑え込んだ感情は、なくなったように見えるけれど、実際はまだ「そこ」にある。
人間、24時間365日気を張り詰めていることなんて、できっこない。
疲れたなぁと立ち止って、ふと心をゆるめた瞬間に、不思議と心ひかれてしまうもの―それがアミイゴさんにとっては、絵であり、音楽であったのかもしれない。


高校生になると、芸術系の大学への進学も考えたが、やはり、家のことを考えると言いづらかった。行きたくもない大学に行くぐらいなら、いっそ東京に出て働いてしまおうと考え、そのことを親に告げたが、やはり許してもらえなかった。

―そうしてまた、イライラがつのっていった。

高3の1学期まで、上から12番目ぐらいだった成績が、
夏休みを過ぎたら、下から12番目ぐらいになっていた。
ハナレグミ「だれそかれそ」アートワーク 作品名:ハナレグミ「だれそかれそ」アートワーク
製作年:2013
解説:国立の街で出会った人や風景を描いた総計85枚ものスケッチに、アートディレクター小熊千佳子さんによるアレンジを加え完成した作品。人と街と夕暮れ時の光が重層的に重なり、金色の光に包まれた幻想的な街が描き出されている。
本当の自由はどこに
大学受験に失敗したアミイゴさんは、予備校に通い始めた。
そもそも行きたくない大学に行くための勉強をする1年間だ。さぞかしイライラした日々を過ごしたことだろう。
と思いきや、実際は全くその逆で、予備校時代は驚くほどストレスのない毎日を送ったそうだ。

「やるべきことが全員一緒だから。大学受験だけだからね」

同じ目的に向かって進むことで、逆に、速度が速かったり遅かったり、近道する者がいたり、迂回して進む者がいたり、道を間違えたりと、それぞれの個性がくっきりと浮かび上がった。
そこに自由のようなものを感じて、とにかくすごく面白かったんです。とアミイゴさんは言う。


けれど、大学に通い始めると、再びあのイライラが戻ってくる。
「大学っていうのがどうも苦手で。みんなの思考が多様化するとね・・・」

確かに、小中高・予備校と大学の最も大きな違いは、その「選択肢の多さ」にあると思う。大学に入ると突然、どんな服を着てもいいし、どのサークルに入ってもいいし、どの授業を選んでもいいし、どんなバイトをしてもいいし、どんな未来を選んでもいい、となる。
世間では、そういう選択肢の多さを、「自由」と呼んだりもするが、
アミイゴさんはそんな「自由」のなかで、身動きがとれなくなってしまった。

まわりの友人たちは、そんなこと気にも留めない様子だった。
みんな、大学生を演じることに夢中だった。

――アミイゴさんのイライラは、頂点に達しようとしていた。
clammbon「id」 作品名:clammbon「id」
製作年:2002
解説:clammbonのアルバム「id」のジャケットのためのアートワーク。すべて現地に足を運んで写生した
セツ・モードセミナーへ
「あのころはほんと錆びたナイフで人を傷つけてばっかりでしたね。
だから、『なんかしないと!』って思ってました。なんかしないと、自分を失っちゃうって感じがすんごいあって」

そんなとき、ある友人から、「セツ・モードセミナー」を紹介される。
セツ・モードセミナーとは、ファッションイラストレーター・長沢節氏主宰の美術学校だ。

学費も安く、試験もなかった。
―これなら、金さえ貯めればすぐにでも行ける。
ほどなくして、アミイゴさんは大学へ行かなくなった。昼も夜もバイトに明け暮れた。もちろん、親には内緒だった。
入学申込の受付が始まると、アミイゴさんは、溜まった貯金をたずさえて、いざ、セツ・モードセミナーへと向かった。

しかし、ここで大番狂わせがあった。
アミイゴさんが申込をしにいったときには、すでに応募が打ち切られていたのである。次の受付は、なんと半年後だった。
観念したアミイゴさんは半年後に出直したが、そこでもまた誤算が襲う。その頃人気の出てきていたセツ・モードセミナーに、予想以上の申込希望者が殺到し、アミイゴさんが申込みに行ったころにはもう、希望していた夜間部の枠がなくなっていたのだ。

けれど、もう大学にも行っていなかったし、それ以上に、今ここでなんとかしないと自分が危ないと思った。これ以上放っておいたら、もっとたくさんの人を傷つけてしまいそうだった。
そこでアミイゴさんは、同じように受付前で迷っている人たちに声をかけ、食事に誘い出した。
その場で、「どうするどうする?午前と午後しかないけど・・・」「よし、みんなで午前行こうか」「え、でも俺、朝起きれないかも知んない」「いやいや行こうよ、午後部って遊んじゃうと思うから午前行ったほうがいいよ、そしたら夜バイトできるし」という展開になり、その勢いのまま、全員で午前部に申込んだのである。
いわき市豊間の海岸 作品名:いわき市豊間の海岸
製作年:2011
解説:2011年3月11日以降、東日本を歩いて出会った景色や花や人の生活を描いた作品を集め、南青山space yuiにて小池アミイゴ個展「東日本」を開催。写真は福島県豊間の海岸を描いたもの
長沢節氏との出会い
「でも行ってよかったんだ、ほんとに!!!」
それまで淡々と話し続けていたアミイゴさんが、急に目を輝かせて言った。

セツ・モードセミナーは、美術学校には珍しく、いわゆるテクニカルなことは教えない学校だった。一番の勉強方法は、みんなで絵を書いて、それを壁に貼り、そしてそれをみんなで見る、というものだった。そして、その、「見る」時間が一番大切だというのだ。
その作業のことを“合評”というが、そこで長沢節先生は、「自分の絵を見るだけじゃなくて、人の絵を見なさい」と生徒たちに教えた。
「今、同じ時代を生きている人達の作品を見る。そこに発見がある」というのだ。

そして、長沢先生は続けて言った。
「個性っていうのは、人との違いを表現することだけじゃないんだよ。偶然出会った他人の中に、自分と同じものを見つける。それも個性だ」

まず、人を知る。そしてその中に自分と同じものを見つける。
すると、相手に対する興味がわく。そして近づいていく。
近づいてみたら、ケンカをするかもしれないし、もしかしたら恋に落ちるかもしれない。そうすることで、そこにはじめて個性が生まれるのだという。

「これかー!これだよ、俺がずっと考えてたのは!って。
目から鱗がボロンボロンボロン!って落ちて。あれは・・ほんとに、楽になったね。個性って、自分ぶん回して、ついでに人を巻き込んでぶんまわすようなことだと思ってたから・・・!」



後半につづく