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創造源流 ”「つくる人」の原動力ってどこから来るんだろう。きっとそこには、源流があるはず”
中野 豪雄 飽くなき情熱で頂を目指す、アートディレクター 〜後編〜
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Profile / NAKANO TAKEO
東京生まれ。1996年、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科入学。在学中、身体性に深く関わる書物の構造に惹かれ、製本、印刷、タイポグラフィーなど、書物形成における理論と実践を学び、卒業制作にて書物の歴史的変遷と分布の視覚化を研究する。2001年株式会社勝井デザイン事務所に入社。2007年に中野デザイン事務所設立。主な受賞歴に日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞、第4回ムーブアートマネージメント・ポートフォリオコンペティションポートフォリオ賞、入選歴に世界ポスタートリエンナーレトヤマ、ラハティ国際ポスタービエンナーレ、中国国際ポスタービエンナーレなどがある。日本グラフィックデザイナーズ協会(JAGDA)会員。▶WEBSITE http://nakano-design.com/
子供の頃から完璧主義で、とにかくトップになることを目指していた中野氏。
美大で初めて味わった挫折とデザインへの新たな希望を胸に、
デザイン界の巨匠のもとで修行をすることになった。
そこで待っていたものとは?
そして、彼はいまアートディレクターとしてどこに立ち、どこを目指しているのか?


インタビュー:川内イオ
写真左から:中野豪雄さん、パートナーでありデザイナーの鈴木直子さん。
中野デザイン事務所にて。
四年目の決意
勝井デザイン事務所への就職は、中野氏にとって「修行」であり「弟子入り」だった。
修行生活は4年間続いた。中野氏は「勝井先生を語らずして、自分の人生は語れない」と言う。
なぜ4年だったのだろうか?
「4年目のときの一番大きな仕事が富山県立近代美術館で開催された勝井先生の個展でした。この仕事の展示設計や図録制作を担当したんですが、ポスター200点、ブックデザイン500点、インスタレーション3カ所といった大規模な展覧会でした。この仕事で勝井先生の半世紀に渡って生み出された作品群を目にして多くのことを学びましたし、いずれ自分もこれくらいのクオリティの高い多くの作品を作っていきたいという気持ちが限界まで来たんです。もともと自分の事務所を持ちたいっていう想いは学生の頃からあったので、これを機に行動に移そうと決意しました」
充実の4年間を経て念願の独立を果たした中野氏は、自身の先行きについても「希望がいっぱい。怖さゼロ」だったそうだ。
中野デザイン事務所にて 中野デザイン事務所にて
インタビュー:川内イオ
独立して初めて見えてきた世界
独立して間もなく、誰もが名を知る大企業から仕事を請け負い、前途洋々に思えた。
しかし、その仕事が全く思うようにいかず、現実に打ちのめされることになる。諸事情で詳細は省くが、クライアントに絡む2社の広告代理店の間に挟まれ、にっちもさっちもいかなくなってしまったのだ。
「僕はいつもの感じで、僕が考えるものはこうで、こういう素材集めたほうが良いという話をしたんだけど、全部スルーされました。結局、デザインがちょっとできるオペレーターだという捉え方をされていたんですよね。チラシを作ったんですけど、その中に(某スポーツの)色んな選手の写真が入るわけです。そうすると肖像権の問題があるという話になって、最低でも某選手の周りに他の選手が二人いなければいけないと言われ、出してみたらいや実は五人だった、いや10人だった、実は全員だったって。要するにデザインとかそういう話じゃなくなってきたんですよ。2社の代理店を通した赤字が全部僕にくる。先方がこうこうこう言っているので、反映させてくださいという話。もう、俺がやっている意味ってなんなんだって自問自答でした」
自分の技量やセンス以前の問題でブンブン振り回され、中野氏は混乱し、疲弊した。
中野氏は苦笑しながら、当時を振り返る。
「独立する前は、勝井先生の厳密なクオリティコントロールやこだわりに対してクライアントが絶大な信頼を寄せている様子を間近で見ていた。だからデザインて素晴らしい仕事だって夢ばかりが広がっていた。それが、俺、これだけしかできないんだって初めて実感して。本当にこの仕事はもう辞めようと思うほど打ちひしがれましたね。あれは最大の挫折でした。あの時、おれ一人じゃなにもできないんだ、今の自分は全然だめだって痛感した。フリーになったばっかりで、その時初めて怖さを知りました」
勝井デザイン事務所で4年の修行を終え、満を持して独立した中野氏だが、言ってみれば、その4年間は勝井三雄氏をリーダーにした、パーティーのひとりに過ぎなかった。
有能なリーダーに率いられれば、峻険な山を攻略することも可能だろう。
しかし、独立とは、例えるなら単独登山。
中野氏は、意気揚々と初めての単独登山に臨み、いきなりブリザードに襲われてしまったのである。まさに出鼻を挫かれたのだ。
とは言え、嵐に遭ったことが不運かと言えば、そうとも言えない。独立して間もない時点で、自分の実力や立ち位置を確認することができたのは、大きな経験だ。夢から覚めた中野氏は、より慎重に歩みを再開した。
すると、失いかけた自信を取り戻させるきっかけが訪れる。それがムーブアートマネージメントからの依頼だった。2006年春、ちょうど雪解けの時期のことである。
作品名:ムーブアートマネージメント・あっという間の5年間展 作品名:ムーブアートマネージメント・あっという間の5年間展
制作年:2006
解説:ムーブアートマネージメントの創立5年目を記念して開催された展覧会。様々なクリエイターが作品を発表すると同時に、 ムーブがこれまで歩んできた年表と、作品を一同に並べるバナーを制作した。制作過程では白紙段階からこの展覧会の主旨そのものから議論を重ね、結果的に総合ディレクションとして関わることとなった。
体は疲れていたけど、心は満たされた
ムーブは当時、創立5周年を記念して「あっという間の5年間展」を企画していたのだが、ムーブの活動を記した年表の展示について、良いアイデアがないまま時間ばかりが過ぎていた。そんなとき、たまたま以前に一度だけ仕事を一緒にしていた中野氏に、その年表に加え、会場全体のコンセプトを含めたディレクションについて相談したところ、これが中野氏のやる気を刺激した。
「当時はまだ何から手をつけていいか分からない状態で、例えばプロジェクトにクリエイター名を出すのかどうかも決まっていなかった。それで、ポートフォリオとプロジェクトを結び付けていくような情報構成を作るところから始めたんです。僕、そういう仕事がすごく好きなんで、前の仕事で思い切り叩きつけられた後に、自分の能力が生かせる場が突然出てきた感じだった。だからもうとにかくどんどん希望や情報を投げてもらって。あの時は、ほんとに体は疲れていたけど、心は満たされていて、頭がどんどん回った」
ムーブと中野氏のメールのやり取りはびっくりするほど長文だったが、それが何度も続いた。その結果、依頼したムーブも、作成した中野氏も大満足の年表が完成する。
「この仕事を経験して、これも現実だし、打ちのめされた前の仕事も現実なんだってわかったんです。やっぱりデザインでできることって無限にあって、人の考え方を変えることができるし、感動させることができる。それも現実だって。こういう経験は、誰かの下で働いているときは絶対経験できない」
この経験が、中野氏に再び前向きなエネルギーをもたらしたと言っても良いだろう。
それからしばらくして、今度は自信を回復させるのではなく、後に自信を大いに高める結果となる仕事を手がけた。
作品名:ムーブアートマネージメント・あっという間の5年間展 作品名:ムーブアートマネージメント・あっという間の5年間展
制作年:2006
解説:ムーブアートマネージメントのポートフォリオコンペティションで審査を通った115人のポートフォリオの実物と見開き写真を壁一面に展示。
個性が見えないこともデザインの個性の一つ
2006年11月に中野氏の母校である武蔵野美術大学で行われた、世界的なポスター作家、ホルガー・マティスの展示会。中野氏はこの展示会ために、マティスの歴代ポスターを集めた図録を作制した。
そのとき、「作品の順番や大きさのバランスが大切で、作品の重要度は本人しかわからない」と思った中野氏は、本人に指示を仰いだ。すると、マティス氏からこんな返事が届いた。
「私は日本人の感性を尊敬しているので、あなたたちに任せる」。
この言葉を聞いて、プレッシャーを感じると同時に大いに燃えた中野氏は、ポスターの意図や作られた背景などを徹底的に調べ、デザインも細部にまでこだわった図録に仕上げた。この図録は、マティス氏から
「私は作品の順番や掲載する大きさについて、一切、話をしていないのに、自分が考えていることと全く同じ構成が出来上がっている。本当に素晴らしい」
と絶賛された。そして、当初、50部だけドイツに持ち帰るはずだったのだが、50部追加して、100部を持ち帰ったそうだ。
さらに、中野氏は展示会のポスターも手がけていたのだが、マティス氏はそれも持ち帰り、後日、「ドイツの知り合いにいっぱい配った」と連絡があったそうだ。
この仕事は中野氏にとって、ターニングポイントになったという。
「その人になったつもりで本を作ることって本当に大事なんだなって思いましたね。結果的に、それを積み重ねていくことでやっと読者に伝わる。でも、すっごいせめぎあいでしたよ。こういう仕事は個性が見えにくい。例えば、すごく住みやすい家には建築家の個性は見えなくて、逆に建物の個性が際立っていても住みずらいとか、あるじゃないですか。この図録も普通にA4にしてぽんぽん配置すれば楽なんだけど、それだけじゃ面白くないし、自分が作る意味がない。もっとマティスの作品の素晴らしさを読者に体験してもらいたいという欲があって、相手のことを考えつつ、自分の個性も活かして読み解いていった結果、今の形につながった」
中野氏の労作は、マティス氏本人だけではなく、手に取った読者にもしっかり評価されていたようだ。この原稿を書くに当たり、この展示会のことをネットで調べていたら、偶然にも実際に展覧会に行ったブロガーが、図録の出来栄えを讃え、「あれなら5千円出しても買う」と記しているのを発見した。
また、前半の冒頭に記したように、中野氏がマティス展のために作成し、マティスが喜んだポスターは、様々な国際ポスターコンペティションにて入選を果たしている。
この仕事で大きな自信を得た中野氏は、その後、その時々で大小の壁にぶち当たりつつも、それを乗り越え、活躍の場を広げてきた。
最近では、台湾の出版社「IDEA freid studio」の新刊で、東京在住の35歳以下の各ジャンルの若手デザイナーを紹介する「New Innovation Designers in Tokyo U35」 で取り上げられるなど、着実に名前を知られた存在になってきている。
しかし、中野氏は「まだ今のままじゃダメだな」と思っているそうだ。
作品名:イメージの構築/ホルガーマティス・ポスター展 作品名:イメージの構築/ホルガーマティス・ポスター展
制作年:2006
解説:世界的なポスター作家であるホルガー・マティスのポスターの展覧会ポスターと図録。 図録では、B4変形判の黄金比にすることで必然的に生み出される余白を用いたり、 キャプションを特色グレーにするなど、ポスターを鑑賞するための工夫が凝らされている。 また、多くの頁数の中で読者が無意識にでもじっくりと読み進められるよう 背景を黒字と白地で使い分けるなど、 読者がマティスの世界観に入り込める工夫がそこかしこに散りばめられている。 また、ポスターは「ラハティ・ポスタービエンナーレ」「中国国際ポスタービエンナーレ」 「世界ポスタートリエンナーレ・トヤマ」で入選、 図録は「日本タイポグラフィ年鑑ベストワーク賞」「JAGDA年鑑」入選など、 国内外で評価を受けた。
必要なのはずばり「人間力」
「ある友人が言っていたのですが、アーティストとしてやっていくためには3つの力が必要だと言っていて、ひとつは表現力、ひとつは技術力で、最後のひとつは人間力。これ、僕もすごく同感なんです。人間力って、自分のなかで一番大事だなって思ってるんですよ。人間力があれば、表現力も技術力もついてくると思ってるんです。だから、もっと自分と言う人間の幅を広げたいんですよ。幅も深さも、もっともっと広げていきたい。自分っていう人間の器が広くないと、表現も技術も広がっていかないような気がするんです。とにかく、自分自身の今までやれてないこと、苦手とか、できないとか、そういうことを克服していかない限りはデザインする能力も広がっていかないんだろうなって言うことを最近痛感してますね」
この言葉を聞いて、僕は正直、驚いた。
気鋭の若手アートディレクターが、何かを作り出す、あるいは生み出す力=創造力の源になるのが、他を圧倒する技術力でも見た人をあっと言わせる表現力でもなく、「人間力」だと言うのである。
「人間力」とは、なんとなくわかりそうで、実はとても曖昧模糊とした言葉だ。
中野氏が思い浮かべる「人間力」とはどういうものなのだろうか。
「フリーになって、一人ではどうにもならないシチュエーションが実はいっぱいあるっていうことを実感したんです。本当に自分がやりたいことがあるなら、あれしたい、これしたいだけじゃ絶対ダメっていうこともよくわかった。大人の社会で生き残って、自分がしたいことをしていくためには、やっぱり頭を使わなきゃいけない。聞こえは悪いかもしれないけど、バランス感覚ってすごく重要だと思っていて、特にデザインという仕事の場合は自分の考えてることをただ言うだけでもダメだと思うし、かといっていろんな人が言うことに迎合するだけでもダメだと思う。自分のやりたいことをするために、いかに人の力が大事かっていうこともわかったし、それを引き出すための工夫もしなくちゃいけない。それもあって、もっと性格的にも突き破っていかなきゃいけないことがいっぱいあるんです。いろんな人と仕事をしていくなかで、この人のこういう部分は見習わなきゃって影響されることが今でもいっぱいあります」
作品名:SFIDA football 作品名:SFIDA football
クライアント:imio
プロダクトデザイン:小林幹也
写真:尾鷲陽介
制作年:2008

解説: フットボールブランド「SFIDA」のヴィジュアルアイデンティティ。
このロゴマークはプロダクトデザイナーの小林幹也氏とコンセプトを共有し、 新作のフットサルボールと連動して設計された。
自己と他者の中間地点を目指したい
中野氏の言う「人間力」とは、広義のコミュニケーション能力だろう。
技術力や表現力よりも、もっとコミュニケーション能力を高めたいというアートディレクターは珍しいのかもしれない。
しかし、中野氏が目指すところを聞いて、納得した。
「仕事をする上で僕が常に思ってるのは、自分と他人、そのちょうど中間にデザインという行為は位置しているということです。だけど、その中間に立つのはすごく難しい。自分がやりたいことだけやるのもすごく簡単な作業で、あなたがやりたいことだけをやりますっていうのもすごく簡単。自分がやりたいことと他人のやりたいことの一番重なる地点を探すのは一番難しいんだけど、僕は常にそこに立っていたいんです。だからやっつけ仕事なんてありえないし、自分のやりたいことだけをやるって言うのもありえない」
中野氏のイメージでは、 “自己”と“他”の中間地点は、例えるなら急峻な山の頂上で、そこに立つどころか、たどり着くことも難しい場所だ。彼はその頂上まで「上り詰めていきたい」と言う。
「これをやり続けられるデザイナーって数が限られてる。でも、自分が師と仰いでいる勝井先生はその“中間地点”にい続けている人なんですよね。自己表現もすごいものを作るし、クライアント仕事もきっちり作る。その人の影響をすごく受けたんで、どうせだったら同じところまで行きたいとすごく思う。そのためには本当にいろんなことをしなくちゃいけないし、知識も経験値も表現力も技術力も人間力も全部必要だから、本当にやることはまだまだいっぱいあります」
作品名:世界を変えるデザイン展 作品名:世界を変えるデザイン展
制作年:2010年
会場:東京ミッドタウン・デザインハブ、アクシスギャラリー
会場構成:芦沢啓治建築設計事務所(デザインハブ会場)、
橋本潤(アクシスギャラリー会場)
デザイン協力:河原健人
写真:尾鷲陽介 
解説:世界の70%と言われる貧困層へ向けて、課題解決を目指した世界中のプロダクトを紹介した、展覧会ポスター、フライヤー、インビテーション、会場グラフィック等、グラフィックのトータルデザインを担当した。
統計データを用いて、世界数百各国の社会課題を俯瞰するインフォメーショングラフィックや、プロダクトが作られる背景を詳細に解説したパネル、プロダクトの目的や用途を簡潔に表したピクトグラム開発など、ひとつの展覧会のためにオリジナルのナビゲーションシステムを構築した。来場者数は、日本のデザイン展では異例の2万人に登った。
山頂までの長い道へ
小さい頃、常に「今、自分が知ってる範囲内でトップになろう」と思って努力してきた中野氏。その思いは今も途絶えていない。しかし、アート、デザインの世界では、ミニ四駆のスピードや、バスケの運動能力のようにわかりやすい評価の基準は存在せず、全ては作品を観たクライアントや消費者が抱いたイメージ次第。だから、中野氏は誰かと比べての“トップ”ではなく、自分が考えるデザイナーの理想像をトップ=頂点に設定し、そこを目指しているのだ。
中野氏が目指す頂点までの道程。
もし、山に例えるなら、今はどれくらいですか? と尋ねたら、
「まだまだ麓です」
と言って笑った。
「麓だとなだらかだから、自分よりにもクライアントよりにも、どっちにもいけちゃうんですよね。頂点まで行っちゃえば勝ちだなと思ってるんですけど、まだ自分のなかですごく揺れている。たまにどちらかに偏っちゃうときがあって、そのたびにダメだなと思う。もっともっと自分を追い込んでいかないと」
ストイックなアートディレクターが目指す頂上は、まだ遥か彼方かもしれない。しかし、ひとつだけ確かなことは、中野氏が暗中模索の段階を終え、その頂点をしっかりと視野に捉えて着実に足を進めているということだ。


text by io kawauchi
作品名:more trees展 ―森を感じる12日間― 作品名:more trees展 ―森を感じる12日間―
制作年:2010年
会場:アクシスギャラリー
会場構成:トラフ建築設計事務所
解説:坂本龍一が発起人として活動を開始した森林保全団体の展覧会のグラフィック・トータルデザインを担当していた。
ポスター、フライヤーに加え、森の現状からmore treesの活動までをストーリーとして解説する会場グラフィックや、more treesが発表する新作プロダクトカタログなどを制作した。